兄弟蔵人が醸す、信州伊那谷の酒

昭和初年の井乃頭

昭和初年の井乃頭

最初にお断りしておきますが、この写真のお店は、漆戸醸造ではありません。

ですが、あちらこちらに井乃頭が写っています。

お店は、「酒類食料品 唐木商店」と写真から読み取れます。「唐木」という名字は、伊那谷にわりと多い名字です。

のぼり旗に「御諒闇中 昭和初年」とありますので、ときは昭和のはじめ。

「諒闇(りょうあん)とは、天皇が、その父母の崩御にあたり喪に服する期間。1年間だったが、後に仁明天皇により13日間となった。」(Wikipedia)

大正天皇が崩御されたのが、大正15年(1926年)12月25日。推測ですが、それからの13日間に撮られた写真なのかもしれません。

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この男性が着ている法被には、「銘酒 美和泉」とあります。

美和といえば、長谷(現在の伊那市長谷、以前の上伊那郡長谷村)にその地名があります。

また、下にある樽には、「萬」の文字。軒先にかかる看板にも同じロゴでキッコーマン醤油とあるので、樽の中身はキッコーマンのお醤油でしょうか。

そして、美和泉の法被の男性の背後にある樽には、「井乃頭」のラベルが貼られています。

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ヱビスビールの看板のとなりにある樽にも、「井乃頭」のラベルが貼られています。

ヱビスビールの看板には、「宮内庁御用達 大日本麦酒株式會社製造 ヱビスビール 販所 唐木酒店」と書かれています。

ちなみに、大日本麦酒株式会社は、

「1906年9月に、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、日本麦酒(恵比寿ビールを製造していた)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)が合併して誕生」(Wikipedia)

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かつて存在していたビールメーカーです。

さて、「井乃頭」のラベルが貼られている酒ビンがあります。

酒ビンのうしろに、横になっている「月桂冠」の箱も見えます。

酒ビンのそばには、「井乃頭」の樽。これは樽詰して売るための容器でしょうか。

実は写真を拡大すると、「ユニ」の文字が見える看板の下に、「樽詰・壜詰」と書かれているのが見えるのです。

この頃、大部分の日本酒が量り売りの時代でした。

s1-3それにしても、月桂冠さんはやはりさすが時代の先をいっているというか、すごいですね。「月桂冠」と書かれている箱は、前にある井乃頭の酒ビンとほぼ同じ大きさに見えますので、それと同じくらいの大きさの箱入りの酒だと推察いたします。その時代にこの伊那谷まで、まだ量り売りが主流の時代に、びん詰の酒が流通していたのですから。調べてみましたら、「月桂冠」さんは、明治42年(1902年)頃から、びん詰の酒を発売していたとのこと。

昭和のはじめ、確実にこの伊那谷で井乃頭が地元の皆様に親しまれていたことが伝わる貴重な写真です。

 

平日はほぼ漆戸醸造の酒蔵に併設されている直営店にいます。サイト作成やラベル作りなども担当。3児の母。